旧山崎屋
-解体転用可能性を実装する-
城下町として栄えた高取町の目抜き通りである土佐街道沿いに建つ幕末安政の頃建設された建物を改修しUターンしてきたご家族5人の住まいとした。大正時代には呉服屋「山崎屋」として利用され現在に至るまで増改築が繰り返された痕跡が残る。町に残る古い町家の屋根には高取城の瓦が転用され、街道の石畳は阪神淡路大震災の復旧工事で出た石が活用されている。山崎屋の軸組も転用材の利用が多く見られ、町全体から個々の建物に至るまで無駄なく古材を再利用しながら時間を繋いできた。
間口(桁行)7間×奥行(梁間)6間の平入厨子2階建であり、桁行方向に壁がほとんど存在せず、明るい南西の大きな庭に向けてどの場所からも抜けがある。吹抜けや厨子2階床が複雑に大屋根の中に組み込まれる事で明確な階の概念が希薄な変化に富む立体空間となっており、大きな気積を持つ民家によく見受けられる部分的な改修の重ね合わせにより壁面は様々なテクスチャーで構成された楽しいコラージュとなっている。
既存建物の魅力的な特徴の継承及び、ひと家族の住まいとして余りある部屋数、床面積の為、大がかりな軸組の組み替えは行わずに、既存間取りをそのままトレースし必要諸室を割り当てた。街道を歩く観光客に開放する場所を設けるなど町との繋がり及び子供達が走り回る大きな庭との連続を考慮して土間を拡張し、それらへの抜けを保持しながら桁行方向の耐震性能を上げる為、桧で構成された華奢な鳥居型の貫壁を複数本梁間方向に重ね合わせた連続貫壁を4組配置した。梁間方向の耐震補強は連続貫壁と併せて、残存する差鴨居や小舞下地の土小壁を利用し、開口部に粘りのある横張り杉板壁を象眼する事で耐震性能の不足分を補うと同時にコラージュを構成する新しいテクスチャーの一つとした。新設板壁は既存土壁と同程度の剛性とし横方向に力が掛かった際、梁の仕口が外れないようにしている。連続貫壁は耐震要素として機能する以外に光の反射板や複雑な空間に骨格を与える大黒壁的役割がある。更に2階床高さを操作して南北床との間に隙間を作り、光や空気の通り道を作りながら床高さの変化をより複雑にしている。
再利用可能な土壁や組み替え出来る軸組材で建てられていたからこそ旧山崎屋は手を加えながら170年程の長い間利用し続ける事が出来た。今回の改修でも解体された古い土壁を再利用して外壁の仕上げとし、古建具や古材を積極的に転用した。あわせて新しく設けた連続貫壁も解体転用可能な組み方とし将来的な家族構成の変化によるリノベーションや別用途へのコンバージョン、移築等別の場所への部材転用に対応出来るようにした。(写真撮影 笹の倉舎 笹倉洋平)